プロフィール
1949年1月生まれ。3歳までアメリカ人アニー・パウラス女史(戦前戦後ルーテル派教会から派遣され、姉のモード・パウラス女史とともに日本社会の母子福祉に貢献した)が設立した福祉法人〝Children's Paradise〟の聖愛乳児園(1949年当時千葉県松戸市に開園)で、3歳以後は千葉県市川市で伯母夫婦が営む浄土宗の寺で大事に育てられた。謂わば「人生の出発点から他人の善意と好意に支えられてここまで大きな顔して生きてこられた」との感慨を抱く。
学生時代は政治的関心は人並みにあったものの、〝ベ平連〟活動に参加するほかはもっぱらノンポリで、アルピニズムを標榜して先鋭的な登山活動に没頭した極楽とんぼだった。大学卒業後、1973年ヒマラヤやカラコルムでの登山活動を兼ねて、ネパールのカトマンズから陸路インドのダージリンへ、さらに陸路イギリスのロンドンまで7ヶ月かけて念願だった貧乏旅行を果たした。
1972年に友人達とプランニング会社を立ち上げていたが、中東戦争に起因するオイルショック後の不景気で倒産したため失業、その後は職を転々。1974年、東京神田須田町で喫茶店修行をしているとき「教員になると休みが多く山にも好きなだけ行ける」と聞いて、教員採用試験を受け幸運にも奇跡的に神奈川県に採用された。1975年度から2006年度まで神奈川の県立高校で教職に就いた後、停年2年前倒しで退職した後、2007年5月ペシャワール会のボランティアワーカーとしてアフガニスタンに赴き、中村哲医師の下で灌漑用水路建設事業に従事した。
アフガニスタンから帰国後の2009年、住民票を現在の相模原市緑区(2007年以前は津久井郡藤野町と称した)に異動し、神奈川県北端の山間過疎地を拠点に趣味のナチュラリスト活動を追求しながら、里山の環境保全や各種NPOへのマンスリーサポートなどの活動に参加・従事している。
2022年11月現在73歳10ヶ月。この年齢になると、飼主が亡くなるまでは言うに及ばず、〝犬猫が亡くなるまでの終生〟飼育の原則から、「あなたにはもはや犬猫は譲渡できません、あなたが死んだらその後どうなりますか?」と里親の年齢制限を設ける愛護団体が多い。当然だなと思いつつも、当事者にとっては残念至極!
にもかかわらず、あえて〝犬猫殺処分ゼロ〟に積極的にかかわりたく、身寄りのない犬猫の里親を志願したい気持ちはあいかわらず旺盛だ。もちろん、万が一のときは息子夫婦(2022年11月現在共に48歳、東京都目黒区で別居)と親友(2022年11月現在58歳、神奈川県相模原市緑区に在住、福島県の原発事故被災県犬2匹を2012年に引き取り協働で飼育した)を犬猫の後見人として準備万端考えてはいる。
★ 2000年以降の猫飼育に関しては次の通り:
2002年、横浜市鶴見区で県立高校の教頭を務めているときに校門前に捨てられ生徒が職員室に持ち込んできた生後間もない子猫を保護しキャットミルクで育てた(♀、2021年12月まで19年間一緒に暮らした)のが出発で、その後2004年には勤務校近くの公園で生徒が保護した子猫(♂、2022年11月現在18歳6ヶ月)を、2006年には三浦市初声で勤務校敷地内に産み落とされた子猫4匹(♂3+♀1、うち♂3匹はそれぞれ10歳、13歳、16歳で亡くなり、♀1匹は2022年11月現在健在)を保護し育てた。2012年、自宅の庭に住み着いた迷い猫2匹(♂推定当時6歳で2020年に死亡、♀推定当時1歳)を保護し、2018年には隣家の庭に産み落とされたばかりの子猫2匹(♀、うち1匹は生後3ヶ月で知人に譲った)を保護し、2019年には自宅近くの空き家に暮らす野良の子猫(♂当時生後8ヶ月)を保護し引き取った。2022年11月現在、神奈川県相模原市緑区の山間過疎地の自宅で♂x2(16歳と4歳)、♀x3(18歳と11歳、4歳)と一緒に暮らす。
趣味はいろいろ。「人生は50歳過ぎたら、もととったも同じ、残りは付録みたいなもの、恩返しと罪滅ぼしに費やそう」が私の持論でボランティア活動に参加する理由だが、まあ、これも趣味みたいなもの。犬や猫をテーマにした本や映画が好きだ。例えば、吉田ルイ子のフォトエッセイ『私はネコロジスト』、高田宏のファンタジー『山に帰った猫』、マーク・シモンの絵本〝 The Stray Dog〟、ヘレン・マノスの絵本〝Samsara Dog〟(輪廻転生の犬)、ケリー・ライカート脚本監督の映画〝Wendy & Lucy 〟(ナサリー・ブルー原作)…と枚挙に暇なしだ。ジェフリー・M・マッソン著『ヒトはイヌのおかげで人間になった』は、この日本語版のタイトル (桃井緑美子訳)といい、英語版の原題〝The Dog Who Couldn't Loving〟(人間を愛さずにはいられなかった犬)といい、その含蓄の深さが大いに気に入っている〝犬の行動学〟だ。
★ 2000年以降の犬飼育に関しては次の通り:
・2011年4月宮城県亘理町での被災地復旧支援ボランティア活動に参加中、キャットフードを仕入れていた山梨県上野原市内のペットショップから「売れ残りそうな子犬(♂当時生後6ヶ月)を無料でもらってもらえないか」とのオファーを受け、二つ返事で快諾。被災地から急遽自宅(神奈川県相模原市緑区=2007までは津久井郡藤野町だった)に戻って子犬を引き取り、以後2011年12月まで延べ120日、この子犬を帯同し宮城県、福島県、岩手県における災害復旧支援活動に参加した。2022年11月現在12歳、神奈川県相模原市緑区の山間過疎地の自宅で一緒に暮らす。
・アフガニスタンから帰国した2009年には〝犬猫殺処分ゼロ〟運動に関心を寄せていたが、2011年東日本大震災が起き被災地に取り残された犬猫その他の家畜の実情を見聞するに及んで〝犬猫殺処分ゼロ〟運動により積極的にかかわろうと発起。2012年には福島県原発事故被災地内に取り残された犬猫の保護に参加。2012年9月、富岡町で発災後1年5ヶ月経って捕獲保護された放浪犬(雑種♂推定当時7歳、2017年結腸脱による大量出血で亡くなった)、同年10月には楢葉町の民家に子犬3匹とともに残されたまま発災後1年6ヶ月経って保護された母犬(推定当時4歳、2020年視聴嗅覚の急激な衰えによる認知症のため家出徘徊し行方不明)を引き取り、友人と協働飼育した。
・2013年10月、愛護団体がフェースブックに投稿した老犬(動物愛護センターに捕獲保護され殺処分直前のやや大型の♂、軽度の認知症、引き取って392日目に変性性脊髄症による全身麻痺のため亡くなった)を愛護団体を介して引き取った。発育不全による左後肢の慢性股関節脱臼、突発性前庭疾患、会陰ヘルニア、変質性脊髄症といったそれまで知らなかった犬特有の疾病疾患に直面し、それらの検査や手術治療に関わる医療費の大きさを痛感した。
・2014年9月、フェースブックに投稿された岡山県倉敷市保健所に保護された野犬の子(♂推定生後9ヶ月、投稿者の記事では殺処分まで猶予がないとのことだったが…。引き取って1年10ヶ月が経過、先住の柴犬との相性のよさもあって私との信頼関係も急速に強化されていた2016年7月急性リンパ性白血病を発症、抗ガン剤治療も虚しく3ヶ月後の10月に3歳未満で亡くなってしまった)を引き取った。リンパ性白血病の抗ガン剤治療(完治の可能性はないが数ヶ月の延命効果ある、治療費負担が大きいと獣医師からは事前に告げられたが…)では、検査や治療にかかる医療費負担の大きさを改めて痛感!同時に大きなペットロスを味わった。



















































