犬が人間なら、ただの間抜けだ。
犬は、犬だから、すばらしい。
そのことを直視しよう。
と書いたのはスティーブン・ブディアンスキー(『犬の科学』 THE TRUTH ABOUT DOGS)。
犬好きの方には(もちろん「犬は苦手」と言う方にも)ぜひ一度読んでほしい本だ。
『ペットのおうち』の本サイトに掲載されていた里親募集に手を挙げて、一週間のトライアルの後、このたびめでたく生後推定9ヶ月齢の〝野犬の子〟を正式譲渡の運びとなった。何がめでたいかって、里親募集のほとんどが里親の年齢制限を設けているからだ。
来年早々74歳になる私なんかは、はなから一顧だにされない。「犬が20年生きたら、そのときあなたは生きていますか?」と、まるで末期がん患者が医師から余命宣告を受けるような扱いだ。「あなたが死んだら、その後は誰が世話しますか?」との問いに「事前に信頼できる後見人を指定します」と条件をつけても「犬の飼育に同意する60歳以下の同居家族でなければダメです」と厳しい。動物福祉の観点から、私にもそれは十分に理解できる。ただ、私が長年賛同し、それなりに活動してきた〝犬猫殺処分ゼロ〟の立場からすれば、「そんなこと言ってていいのかな?保健所に収容される犬猫の数と里親志願者の数との需給のアンバランスを考えたら、もっと柔軟に対応したほうがいいんじゃないの?」と正直言って思った。が、…
しかたなく諦めようとも思ったが、「待てよ、年齢制限のない里親募集を探せばいいじゃない」と思い直し、執拗に探した結果、ありました!栃木県の保護活動家が保健所から引き出しすでに5ヶ月近く世話しているなかなか人馴れしない〝野犬の子〟、一緒に引き出したほかの〝野犬の子〟が比較的おとなしい性格ゆえに早く里親に引き取られるなか、「気性が激しい」ゆえにこれだけが残っているという〝曲者〟だ。
でも、10月25日預かりさんのお宅を訪ね面接してみると、初対面の私をアグレッシブに威嚇するわけでもなく、むしろすごすごと部屋の隅の物陰に隠れて壁に体を押しつけるように固まってしまった。私が尻を摩っても、耳を摘み、背筋を撫でてもなされるがままだ。それを見て、学区の底辺に位置付けられた生活指導の困難な公立高校で長年〝大変な〟生徒たちを相手にしてきた私の目には、この〝野犬の子〟の心の奥に潜む〝やさしさ〟が、言い換えれば〝弱さ〟が見て取れた。人間は信用できない、人間は怖い、そんな不安と緊張で体を硬直させる子犬の心理は、学校文化(敷いては大人社会)に反抗し虚勢を張って自分を強く見せようとする〝問題生徒〟のそれと重なった。二つ返事で子犬引き取りを快諾し、11月8日栃木県宇都宮から新幹線で東京へ、東京から在来の中央線で神奈川と山梨の県境に近い藤野(相模原市緑区)のわが家に連れて帰った。(8年前、岡山県倉敷市の保健所から〝野犬の子〟を引き取ったときは〝野犬の子〟の運賃(普通手荷物料)は倉敷〜藤野間280円だったが、今回は10円値上がりしていて宇都宮〜藤野間290円だった。)
預かりさんの「また出戻るんじゃないかしら」との心配は杞憂!
そもそも、齢73歳に子犬の飼育を委ねてくれたこの千載一遇のチャンスを私は簡単に手放すつもりはない。昨日、子犬がわが家に来て一週間が過ぎトライアルは一応満了、正式譲渡が成立した次第。
生後4ヶ月ほどで捕獲され愛護センター(保健所)に収容された〝野犬の子〟が私に心を開くまでにはこの先数ヶ月あるいは1年の時間と私の献身的な努力が要ることは言うまでもない。預かりさんのお宅で5ヶ月近く親身に世話されたことが土台にあるから、私はその貯金を元手に慌てずゆっくり子犬との信頼関係を構築していけばよいだけだ。まずは先住の愛犬(12歳の柴)に子犬を受け入れさせること、子犬が私の掌からおやつを自発的に取って食べること、子犬が私に体を自由に触らせること、それが叶えばまずまずだ。今のところいずれも順調だ。子犬にはグー(GOO)と名付けた。
注文した散歩用の短いワイヤリード(子犬が噛んでも断裂しない)が届いたら、スリップリーシュ(先端の輪を直に首に通す投げ縄式の柔らかいリード)とのダブルビレー(クライミングで墜落防止で用いる二重確保、首輪が抜けてもこれで引き止められる)でわが家に隣接し私が草刈伐採の管理を任されている広大な耕作放棄地【写真3】で私と歩調を合わせて歩く練習だ。散歩用の首輪にはApple AirTagと電話番号を刻印した名札を装着した。シーザー・ミラン曰く「犬との信頼関係を築くベストな方法は日々の散歩だ」。
昨日、終日の雨模様、暇つぶしを兼ねて、この子犬の写真を素材にドイツはフランクフルト在住の友人に送るクリスマスカードをつくってみた。
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