- 登場ペット:
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寸桜が虹の橋を渡ったのは2010年の秋でした。
時が過ぎるのは こんなにも早く、なのに形を失った現在でも愛しさは変わらない。
もう転生して 幸せな日々を送っているのかな。そうだといいな。
写真2は 腫瘍を取った時の記録写真です。
痛々しい・・・でも 生きる望みが1%でもあるなら諦められなかった。
治療には ものすごくお金が必要で、その頃の私は貯金とかなかったけれど
かかりつけだった先生のご好意で とにかく治療を施そう、といってくださって
闘病生活が始まった。
まとまったお金ができると すぐ病院へ報告兼ねて入金に伺い
自宅で 愛猫の看護。
けど 一ヶ月くらいすると 病状は悪化してしまう。
それが3枚目の画像です。
相談コーナーで少し この事を書いたのだけど
たった1匹の命を救おうと頑張るのに どれだけ大変か。
そして それが報われないと分かった時の 葛藤。
出来ることなら 1分1秒でも長く生きていてほしかった。
だけど それは苦痛が伴うのであれば
望んだ姿ではないのです。 健やかに安らかにいてほしい。
だから 最後は悲しくても 延命ではなく痛みを安らげる治療をお願いしたのです。
最後の一瞬まで 寂しい思いだけはさせないことだけが
その時 できる唯一でした。
随分と時が流れ 寸桜の息子のジャズ(ST♂)も一昨年老衰で虹の橋を渡ったと
実家の母から連絡がきたときは 供養のために 帰省し
分骨してもらっておいた 小さなジャズを胸に帰宅。
最近 思うのは 『可哀想』とたくさんの動物を保護したいと思う方が
けっこういらっしゃるようなのですが、
この写真を見てください。
たとえ 一斉に酷い病気にならないにしても
たった1匹でも 健やかでいられない状態になったら
それだけで 飼い主の心のキャパは 破裂しそうだと思いませんか?
心配で張り裂けそうになるのに たくさんの命を
全員 同じように分け隔てなく 愛情と必要なお世話をできるのでしょうか?
私には 『可哀想』だけでは無理です・・・・。
大事に家族だからこそ、何を置いても必要ならば
治療代のために自分は あの手この手で節約もするし我慢も苦にはならなかったけれど。
動物医療関係の仕事でもしてなければ
何匹もの命の 健康管理やお世話が 日常生活を維持しながら
円滑にできる人なんて そういないと思うのです。
誰にでも出来るものじゃないから ボランティアさん達は
日ごろ 大変な苦労をされつつも愛を持って 一生懸命にお世話し、治療し、
悲しいコトを乗り越えながらも 命のバトンをつないでいらっしゃるのです。
誰だって 完璧ではありません。
絶対大丈夫 なんてありません。
だからこそ よく考え 話し合い 最良を模索しながら
誰もが前に進むのだと思うから
溢れんばかりの優しさを抑えきれないのなら まず1つの命を大事にしてみましょう。
それでも余力あると思うのであれば ボランティア参加も方法の1つですよね。
どこの団体さんも 個人ボラさんも 手が足りないと募集してあります。
その方が たくさんの命のお手伝いができますし、誰もが幸せになれると思うのです。
何が言いたいかというと
ひとつの考えに拘らず 少し違う角度からも考えて
もう少し 言葉に優しさを足せたら みんな幸せになれるんじゃないかなって。
わたしも全然うまく話せないんですけどね・・・。
せっかく優しい気持ちが集まったサイトなのに もったいないなって。


