昨日の夜、冷房の効く部屋で寝ていたら
お腹と腕の辺りがぽわーんと温かくなったような気がした。
もしかしてボンちゃんが来てくれたのかも。
ボンは抱っこが好きだったもんね。
抱っこすると腕に頭を差し込んで、ゴロゴロ甘えてたね。
きなことおもちがきても、ボンのことは忘れてないよ。
ボンは特別だから。
ボンのしっぽがはげてきて、
病院へ連れていこうかと思ってたいた矢先
夜血を吐いて明け方あっという間に旅立ってしまった。
原因も分からないまま。
骨を拾ったときに、葬儀やさんからは
「内臓のまわりの骨の色が悪いから、内臓疾患だったようですね」と言われたけど。
土曜から日曜にかけてのことで、
家族に見守られ、私の腕の中で逝ったのが
せめてもの救いだった。
思えばお世話の大変な猫だった。
夫が狭い側溝から救い出してうちに連れ帰ってきたときには
すでに右目はつぶれていた。
病院で診てもらったら、目以外にも
小脳形成不全をはじめハンデのオンパレード。
とても生きられないと思っていたのに、
1週間後に診せたときには、
「何とかいけそうです」と言われ、逆に慌てた。
共稼ぎで平日いないのに、これからどうやって世話してこうかと。
脳と足の障害で歩くことができず、
ゴロンゴロン転がって移動するしかない。
トイレは覚えられたけど、
トイレから離れているときは、面倒臭くて
その場でしてしまう。
小脳の障害で麻酔がかけられず、
去勢の手術ができなかったから、
スプレーもするようになった。
お腹がゆるくなることも多くて、
やわらかいウンチの上に転がって
ウンチまみれになることもたびたび。
そのたびにお風呂で洗わなくてはいけなかった。
たまらず気候のいい平日の昼間は庭に出すようにした。
自分で庭から出られないのはいいとして、
今思えばよくカラスにやられなかったなあとヒヤヒヤする。
前足が足首のところで変形して曲がっていたから、
爪の出し入れが上手にできず、
じゃれて遊んでいると、よく爪で引っ掻かれた。
子猫の時は噛み癖もひどかった。
ときどき狂ったように泣き叫ぶこともあった。
きっと狭い側溝で置いてけぼりにされたときのことを思い出すのだろう。
そのたびに抱き上げて「大丈夫だよ」と言ってやった。
かわりに、私が辛いとき悲しいときに、
転がりながら膝にのりにきてくれたボンから
いっぱい力をもらった。
本当に手のかかるこだったけど、
そんなお世話がこれからも当たり前に
もっと続くと思っていた。
ボン、もっともっと生きててほしかったのに。
うちのこは特別だと、
ハンデはあっても一生懸命生きてますと、
誇りに思っていたのに。
ボンちゃん、またときどきお母さんのところに来てね。
きなこやおもちに、まさか焼きもちは焼かないよね。
ボンの本名は梵天丸。
片目の戦国武将伊達政宗の幼名をもらったんだよ。
ハンデに負けず、がんばって生きたよね。
これからは、家族を見守っていてね。