私はこちらのサイトを利用するのは、きっと今の犬を里親に出し、新しい飼い主さんに馴染んだと思うまでだと思います。
私の小さな頃、雑種犬を飼っていましたが、親の犬、という感覚が強く、自分の犬というのは、私が社会人になってペット可の住宅に入ってから、ペットショップで目が合ったゴールデン・レトリバーでした。今、盛んにペットショップで犬を買うのは問題だとか言われていますが、当時の私には知識もなく。
そのゴールデンは売れ残りでした。最初見た時は2頭いて(最初は3頭だったらしい)、じゃれあっていたのに、次には一頭になってて、なんだか可哀そうに思えたし、可愛いし、ペット可のところにいるんだし、ということで、飼うことになりました。上司が同じくゴールデンを飼っていて、休日出勤の時に連れてきていたこともあり、多少の知識はありました。
すごく優秀な犬でした。今のボーダー・コリーも賢いけれど、このゴールデンは性格が穏やか、従順で、盲導犬にピッタリなのに家庭犬にするのはもったいないと感じるぐらいの犬でした。
私にとっての最初の犬育てなので、いろんなサイトや本を読んで、知識を増やそうとしました。市内のしつけ教室にも通いました。
幸せに満ちた日々でした。いろんなことがあっても、犬の笑顔で癒される。
犬のことを思って、ボランティアにも参加したり、ドッグトレーナーの資格も取りました。
ボーダー・コリーは前々から優秀な犬だと言われていて、しつけ教室にも何頭かいました。私はもともと白黒系の動物(パンダやネコでも)が好きなので、2頭目としてボーダー・コリーを選びました。
まだゴールデンも活発だったし、良い遊び相手だったです。
私の病気の前兆が始まるのと、ゴールデンが衰えを見せ始めたのがほぼ同時期でした。私は必死で自分の不調は目を逸らし、ゴールデンの老後を見守りました。何度か寝たきりになったり、あちこちの病院で診てもらったりということもしました。
ゴールデンが亡くなったのは2年前の夏でした。もともと暑さに弱い犬で、夏を超えるかどうかがここ数年の課題になっていました。数週間寝たきりになった後、息絶えました。私はその頃、もう自分の病気を認めざるをえなくなって、仕事先にもそのことを話していました。おかげで看病もできたし、最後の瞬間そばにいてやれたことは感謝しています。
でも、その後、大きな喪失感に襲われました。13年間ずっと一緒にいて、その間いろんなことがあっても、絶対に守ると思って、自分を奮い立たせながら生きていたのに、その支えがなくなった。
その後、まだボーダー・コリーがいるし、と、なんとかと自分を立て直そうとしましたが、病気には勝てませんでした。気がついたら、体がやせ細って、体力もスタミナもない。散歩に行くのがやっとの現在。
1頭は良い里親様に巡り合えてよかったと思いますが、今の犬は一番若く、これからどんどんスタミナを持て余すということも知っています。
1頭になったおかげで、散歩も多少楽にもなったし、里親探しのことで以前、ゴールデンの頃から関りのあった犬関係の人とも再び話ができ、時々なら助けることができる(外に犬を連れて行ってくれる)と言ってくれています。
でも、そうすると、里親に出してしまった犬が不憫に思えて。けしてそこで不幸にはなってないのはわかってるんですが、知らないところに突然行かされて、知らない場所で暮らさなきゃならなくなったあの子のことも考えてしまいます。
愛犬が死ぬというあの悲しみを味わいたくないという本音もどこかにあります。そういう自分の身勝手さに苛立ちを感じながらも、だからこそ、良い里親様に託したいとも思います。